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    私が所属している家族会は、役員が概ね70歳という感じで、
    人生経験はあるが、柔軟な考えができない、という傾向があります。

    例えば、私は再三に渡って「銀行口座に入金があったら、それは収益として
    記載しなければいけません。決算報告書と口座の残金を突き合わせて整合性が
    とれなければダメです」と言ってるのですが、

    「県からの補助金は、会員に報告する必要がないから」の一点張りで、
    全く聞く耳を持とうとしません。「おまえ、それ不正会計だぞ」と思いますが、
    もうろくしてるのか、頭が悪すぎるのか、固すぎるのか、全く考えることすら
    しない状況です。
    そこまで疑うなら税務署なり、県のNPO法人の担当課などに
    行って、正誤を確認してくればいいと思うのですが、それすらしない。

    はっきり言って、「頭が悪くて、怠慢な老人」が会長をやっています。

    そして、現在でも会計、決算書類は「手書き」です。

    手書きですよ。この現代において、エクセルなんて簡単なんだから普通エクセルで
    作るだろうに。勘定科目もおかしくて、会長渡し200万円など、「それって会長が
    私的流用しててもわからないやん」というつっこみどころ満載の会計と決算書類を
    作っています。

    老人の悪いところは考えが凝り固まっていて他人の話を聞こうとしないところです。
    会長、会長とまつりあげられ、自分が考えることは全て正しい、と思い込み、勝手な
    判断で物事を決め、あとで面倒なことになる、ということが頻発しています。

    前回は、ボランティア保険の対象になるかどうかもしっかり確認せず、ボランティア
    保険を勝手に選び入ってしまい、保険代を無駄にしていました。

    老害だな、と思うのは、彼らはいくら失敗して人に迷惑をかけても、それをなんとも
    思わないらしく、反省しないところです。
    他人に頭をさげ、お願いします。すみませんでした。というのを私は一度も
    聞いたことがありません。

    あと、人の時間やお金を当てにするという点もものすごく迷惑で、第三者経由で
    NPO法人の決算をやってくれないか、などと伝えてきたりします。
    お願いします等、人に頭を下げられるかどうかも、自分がついていくに足る組織
    の役員かを判定する材料になりそうです。

    関東や名古屋など他の支部はレベルが高いなどと、のたまっていましたが、
    レベルが低い状態をずっと維持してきた張本人はお前たちだろ、とツッコミたくなります。

    自分は勉強せず当事者に勉強しろ、というのは何様のつもりなんだと言いたいです。

    むしろ、勉強して教えを請わなければいけないのは、老害である親や運営者。
    断言します。

    ひきこもりの当事者を支援する団体は高知県でもいくつもあるのですが
    その中でも「当事者の気持ちを無視したなわばり争い」としか見えない
    実例を今日は紹介したいと思います。

    私が一応所属しているひきこもりの家族会と、そこから派生した
    社団法人とは、非常に仲が悪いです。

    どれくらい悪いかというと、社団法人が家族会から離脱したことを
    HPにはっきり記載しているくらいです。普通、いろいろ経緯があるにせよ、
    離脱した理由を記載して、自分たちは別の団体を立ち上げたなどと
    書くことはまずないだろうと思います。

    私は、両方の団体に顔を出しているので、当時の状況を他の人に聞いたり、
    双方の側の言い分を聞いているのですが、概ね家族会側の対応が悪いと
    感じています。
    役員に決算書類の詳細を教えなかったり、閲覧不可という対応をしたり、
    居場所の私物化を容認したり、など、運営を会長が私物化したというのが一番
    大きな理由だと思っています。

    ただし、その後の社団法人側の対応も良くない。
    私は、社団法人側の活動も気になって、そちらに行って話を聞かせてもらいました。
    当初は社団法人側の活動にも参加したいと思って行ったのですが、
    結局は、家族会側にいる人間は受け入れることはできない、ということで、
    入会できず、言われたのは「自分で会を立ち上げてやってみなさい」という
    言葉です。

    これは体良く断られたな、、と当時は思いました。
    よくよく考えてみたら、当事者が関心を持って行っているのに、
    家族会側の人間がいると気になるから、とか、当事者を横取りしたと思われるから
    などというのは、親側、運営側の勝手な言い分であり、当事者には全く関係のないことです。

    結局、社団法人側に壁を作られたまま(この会を作ったのがその証左)で、
    現在に至ります。

    本来なら、そちらの社団法人側に加わって、バーベキュー会や、船遊び、居場所で
    みんなで集まって話し合う、ちょっとしたご飯を食べる、勉強会などをする、
    そういう場所があるのではないか、と思っていたのに、しっかり壁を作られてしまいました。

    本当に弱っている当事者なら、この対応だけで、もうこの社団法人には行くまい、と
    感じてしまうと思います。
    悩みを抱えているのは当事者です。その当事者が相談しにきたのに、「自分で団体を
    立ち上げなさい」はないでしょう。

    この点についての社団法人側の対応というのは、「自分たちが好きな
    (扱いやすい)当事者のみ参加を許して、それ以外の人間には参加をさせない、
    という運営側の方針が透けて見えるなと思っています。
    例えば、若い女性の当事者が来たらどうでしょう。
    「自分でNPO法人を立ち上げなさい」っていうかな。

    当事者側がたまったものではありません。

    団体を立ち上げろ、というのはひきこもりの当事者や経験者に言う言葉としては
    まずNGだろうと思います。(「今作らないと結局作らないだろうね」などとも言われました)

    そんなことは当事者が元気になって自発的になって初めて言う言葉であり、
    他人からアドバイスとして聞いて、「立ち上げようか」と思うものではないはずです。

    社団法人側にも実直に当事者を支援してきた実例があるので、この一点において
    一方的に批判はしませんが、家族会側にしろ、社団法人側にしろ、自分たちの感情に
    任せて、当事者視点を無視した、なわばり争いとも言える
    (私達は気にしてないけど、向こうが気にするから)状況を
    自らが作り出しているということは自覚しておいたほうがいいと思います。

    結局、私は、家族会側からも疎まれ、社団法人側からも当事者としては歓迎されず、
    という状態が続いていて、まぁ、一緒にバーベキューしようとか、時々声をかけて
    いただくのはありがたいですが、ちょっと寒しい状況が続いています。

    所属している家族会側は今度NPO法人化を目指すようです。
    東京で作って事務局長やったことがあるのですが、正直手伝うかどうか決めていません。
    勘定科目から設定しないといけないのも、ものすごく面倒だし、
    正しい決算の作り方を教えるのも、理解力のない70歳に教えるのは正直イラッとします。

    家族会の私物化をしている団体を手伝うのも気分が悪いので・・・。

    当事者が自由に主体となって明るく活動ができる団体というのは高知では生まれてこないのかな、
    と現在は考えています。

    テレビの取材も受けているので、こういうことも伝えようかな。

    最近、経済状況について苦しい胸の内を吐露されることが、
    数度有り、私も彼らを支えて上げたいのだけれど、今のところ
    なんともすることができないので、頭を悩ませています。

    突き詰めて考えると「お金のやりくりがうまくいってない」又は、
    「元々貯金が上手ではない」ということなんですが、これは日々の
    生活上の意識から必然的にそうなるものなので、一つのアドバイスで
    どうこうなるものではないです。
    今こうやって書いていてもため息を付きながら考えています。

    まず。
    出ていくお金は最小限に、とにかく最小限にしろ、ということ。
    あと、できるだけ若い時に稼げということ、です。

    ちなみに僕は、今、月収10万円ですが、資産は7,000万強はあります。
    月収を極限まで下げてるのは税金を払いたくないからです。
    ほとんど全て株式投資で少し不動産投資です。
    46歳でこのやりくりでもほとんど不便を感じていません。
    Amazonでは普通に買い物するし、ネットも引いてます。
    本当は、不動産投資に全振りすれば不労所得500万くらいは固いと思います。
    でも税金は余計には払いたくありません。
    それに有望な会社に投資するほうが楽しみなので、ほぼ株式に全振りです。
    恐らく、1億は遠からず突破するでしょう。

    アーリーリタイアという生活になるんだと思いますが、
    僕は、30歳くらいで2,000万円は貯めていました。
    また、貯められるように実家から外資系の企業に努めていました。
    そのために専門の学部で、そのキャリアを潰さないような職歴を積みました。

    すなわち、20代は見せるキャリアを作るために頑張った訳です。

    仮に高知県出身で高知で生涯を送りたい場合、
    高知ラブだけではなく、高知に居続けるためには、
    自分がどんなことにチャレンジしなくてはいけないのかを、高校生のころから
    考えていく必要があります。とても、学生時代から引きこもっている時間は無い訳です。

    この点、「学校に行きたくない」「友達と合わない」「学校がつらい」となってしまうと、
    その時点で、高知(地元)でお金を持って住み続けたいという希望は叶わなくなってきます。

    親元で親の援助ありきか、お金に追われる生活スタイルで生活するということになってしまいます。

    正直、ぼくが達成したライフプランを彼ら彼女らに勧めるのは不可能に近いです。

    手っ取り早くお金を稼ぐということができればいいのですが、そういう方法があれば、
    生き馬の目を抜く、業界の人たちが既に押さえているのが普通です。

    二番煎じも強いのですが、資金力や付加するアイディアが必要になってきます。

    引きこもりの人たちで、「自分たちの生き方をしよう!」と声高らかに叫んでいる人たちは
    こういったファイナンシャル・リテラシーが非常に低いことが多い。
    優柔不断だし、決断が遅すぎる。

    だから、私も助けたくても助けることができない、というのが本音です。
    ぼくくらいの年齢だと東京などでは、1億円超えはザラです。不動産投資を早くからやっていたら
    2億も結構いると思います。

    先んずれば人を制すという言葉がありますが、引きこもるにしても世の中は頭脳戦です。
    ひきこもりUX会議のように「自分たちも声をあげよう!」というのは結構ですが、
    ライフプランを考えてきた人達と対等に話をするのに、舐めてかからないほうがいいと思います。

    とにかく高知県全体で有志の集まりは、お金がないという話ばかり聞きます。
    B型作業所しかり、引きこもり関連のNPOしかり、引きこもりの当事者しかり、です。

    僕は親の教育のフィロソフィー(哲学)が子供の知的好奇心や、学歴の形成に
    大きな影響を与えているのでは、と思っています。
    士業の人たちと話をすることもあるのですが、彼らは教育に対して非常に高い関心を
    持っています。高知だと土佐高校に行くのは当然、といった感じです。
    もちろん、そこにプライドや自尊心も感じるのですが、彼らがレールを上手に敷いて、
    子どもたちは高い学力を武器にして有名大学に進学していく確率が非常に高い。

    そうすると職業を選べる訳です。一流校であれば、高い年収の職業も選ぶことが出来ます。

    しかし、マイルドヤンキーのように高知のような地方に残ってしまう人たちは、
    生涯賃金といった土俵の上では、全くエリートと勝負になりません。
    与えられた教育のフィロソフィーと、生涯獲得賃金が全く違うので、自分のやりたい
    ことを達成することができる可能性が非常に低くなってしまいます。

    逆に、お金はエリートのところに集まっていくという構図だと思います。

    ぼくは、引きこもりの人たちに経済的なゆとりと自尊心を取り戻したいと思って活動
    していますが、現実を見れば見るほど、現実が厳しくて打ちのめされてしまいます。

    集まればいいではなく、自分たちの立ち位置、目標の実現可能性、現実の経済力など、
    総合的に考えて活動している人たちが居たら、ぜひ話を聞いてみたいです。

    だいたいの人たちに「経済の話」が抜けています。これは大学の先生でも同じです。

    今まで、引きこもりについて考えてみたけれど、実際に
    引きこもりから脱却したところで、昼間からゲームをして
    アニメみて、オーテピアで本を借りてきて、ボランティアを
    してといっても、自分の食い扶持をかせいでいないことには
    話になりません。

    現時点での自分は、以前買ったマンションや、貸株金利の収入で
    毎月ほぼ決まった額が入ってくるので生活に困ってはいませんが、

    時間を持て余してしまうという点では、引きこもりを脱却した人、
    定年退職をした人と一緒で、これをやっていて社会とつながっている
    という実感を強く感じるものがありません。

    そこで、何か事業をやってみようと思います。

    現在、スキームを考えているのは輸入の物販会社で、現在、alibabaでの
    価格調査と、日本での販売価格の調査、原価計算、AmazonのFBAを利用した
    場合の費用対効果などを調査しています。これだけでも品目ごとに行わなければ
    ならないのでなかなかの調査量です。

    中国語は昔、中国に留学していたので抵抗感はないのですが、ビジネスメールなどは
    オーテピアに行って、文例集などを借りてきてみました。

    ある一つのことを行おうとすると、いろんな周辺知識は要求されるものですね。

    みなさんも家にいてもできる仕事って意外とたくさんあると思いますので、
    できない理由を探すのではなく、やっている人に近づく気概でチャレンジしてみては
    どうでしょうか。

    数万円からでも事業は始められますよ。

    まったく真逆のことを書くのはそれだけ考え抜いている過程だと思ってもらえるとありがたいです。

    引きこもっている人は堂々と引きこもりましょう。
    ただ、親と今後の今の生活スタイルを続けていく算段を計算して相談しましょう。
    出来ないなら、途中でバイトする必要があるかもしれません。
    バイトするためには昼夜逆転を治す必要があるかもしれません。
    そのためには、病院に行って睡眠導入剤をもらってくる必要があるかもしれません。

    というように、一つ一つ、これをするためにはこれをしようというように、
    問題を切り分けて考え、それを1週間に1個でいいから進めて行くようにしましょう。

    そしてできた結果は親にほめてもらうようにしましょう。前進したのだからほめてもらって
    当然なのです。

    こういう考えが自分の中で出てきたのも、日本は、会社に尽くす「いいこちゃん」を製造する
    機関であって、タフに世の中を行きていく訓練を施す教育を真っ向から否定してきたからではないか
    と考えたからです。くだらない校則や、先生たちに服従を求められたり、先輩後輩のくだらない
    上下関係、そういったものが全て、世の中にでてからの「いいこちゃん」製造パターンになって
    いるのではないでしょうか。

    そう考えると、今まで無意識のうちにいいこちゃんを押し付けられてきた我々引きこもりは
    ここらで楯突いてもいいと思う。

    それにそうした教育の中で無理くり押し込められてきたのだから、引きこもりになる人間が
    一定数出てこなければかえっておかしいくらいです。
    生まれるべくしてでてきたのが自分たちなら、それを前面に打ち出して、世の中をギャフンと
    言わせるのも、一つの世の中を渡っていく方略のような気がします。

    ただ、勘違いしてほしくないのは、なんでもかんでもふんぞり返って、親にやってもらったり、
    世の中のせいに全てをする、ということではないです。
    もっと知的に、スマートに引きこもるということ。
    知識と方略を使って、自分に都合のいいことをどんどん取り入れ、生活を確固たるものにし、
    そうでないものはどんどん切り捨てていく、そんなタフでスマートな生き方が、かっこいいのでは
    と考えています。

    引きこもっているんだけれども、生き残ることに対してタフであること、これが自分の中の
    引きこもりの一つの目指すべき方向になっているのかもしれません。

    つい最近、「ひきこもりUX会議」なる団体を見つけて活動を見てみたのですが、
    耳に心地よい言葉が列記されていて、引きこもりをまるで生クリームでデコレート
    したような表向きにうげってなりそうになりました。
    ひきこもりを美化したって何も出てくるわけないだろう・・・。

    生きづらさって、本人が周りの顔色を伺っているからであって、一人が自分から声を上げて
    人生の表現や体験の表現をすれば、それ自身が輝きを持ってくるだろうに、そんなこと
    も分からずに、一緒に話しましょうって言ったって、傷の舐め合いにしかならないと
    思うんだよなぁ。自己満足というのか。

    引きこもりは当面の生活は親に面倒見てもらっている人が大半なので、直近で困っている
    っていう人にはお目にかかったことがない。それだけに知らない間に年齢を重ねてしまって、
    今もう40代半ば以降という人たちが数多くいる。いわゆる氷河期世代だ。
    本来なら、恋愛し、結婚し、子育ても終わり、子供は大学生になっている、それくらいの
    世代で、立派に親を勤め上げましたというくらいの年齢のはずなのだ。

    それが、悲しいかな、親元でスネをかじりまくって、親の金でご飯を食べ、お風呂に入り、
    ネットを使い、ゲームをする、そして、ひきこもりUX会議のようなところで繋がりを求める
    というえらい贅沢で消極的な生活をしていると本人達も気が付かないで、安易な繋がりに
    安住しようとしている。これではいけないと思う。

    本当に大切なのは、「つながりをつくること」ではない。つながろうとするときに生まれる、
    自分のやる気や意識の改革、生活の改善につながるモチベーションのはずだ。
    いくら引きこもりの同業者とつながって偉そうに語って、傷口を舐めあっても、その後に
    帰る家では、ママがご飯を作ってお風呂を沸かして待っていてくれるのではあまりに情けなさが
    過ぎるのではないか。

    やはり、引きこもりが真に自信を持って自分のことを自分の言葉で語るためには、自分の食い扶持
    を自分で稼ぐことができてこそのような気がする。

    ただ、一概に言えないのが、この年齢では親の介護の問題が発生してくるということだ。親と一緒に
    住むということはイコール親の介護もするということに他ならない。介護は綺麗事では済まされない。
    イライラが募ったりなど日常茶飯事だろうし、暴言をぶつけることだってあるだろう。実家ぐらしでは
    そこから逃れる術がない。親にとっても、子供にとっても実家ぐらしは監獄と化す。

    引きこもるときに、親の力を借りるというのはよくよく考えてほしい。将来その場所が地獄絵図になる
    かもしれない。もちろん、そういう洞察力がある人はそもそも引きこもりに陥らない気がするのだけれど。

    引きこもっている人達は、現状維持バイアスが強い人達ということができるかもしれません。
    なにかにチャレンジすればいいということは「わかっている」けれどもそれを行動に移すこと
    ができないからです。

    現状維持バイアスの外し方は、数字やコストといった目に見える形で損失を提示することです。
    人間だれしも損失は嫌ですから、それが具体性を帯びればいやでも動かざるを得なくなります。
    それでも、動かない人は、恐らく病的に理解力がないということなので本人の資質と親の教育が
    悪かったとして諦めるしかないです。もしくは病気の可能性があるなら病院行きましょう。

    ただ、私が見てきた引きこもりには割と地頭がよい人が多い気がします。
    ただ、頭がいいだけに、自分の気持ちで枠を作り、その枠自体が社会からずれてしまっているので、
    もう時すでに遅し、で諦めてしまっている人たちが多い印象です。

    そういう人たちにはなんとかチャンスを作りたいと、最近は日夜頭を悩ませています。
    実力もあって、真面目で、引きこもりより楽しい生活を享受できるチャンスがあるのに、
    もったいないと思うからです。

    ただ、、
    いろんな意見を言うけれど、いざとなったら「いや、やっぱり止めます」という人はそもそも
    救うことができないので、関われません。

    引きこもっている人に真剣に考えてもらいたいのは、自分の生活を改善するということは
    「椅子取りゲーム」だよということです。そういうチャンスはだれにでも公平にやってくる
    ものではありません。ある日突然目の前に現れるかもしれない。そしてそういうときは迷いなく
    その椅子に座る行動力が必要です。

    社会全体からみた引きこもり脱出の取捨選択はそういうところで行われるのかなと、思ってみたり
    します。チャンスをものにできない、現状維持バイアスに凝り固まった人たちは親が何をいっても
    聞かないし、待っていても行動を起こすことは決してないでしょうから。

    引きこもりの悪口ばかりいってんじゃねぇ、という人たちもいると思うんですが、
    私も元ひきこもりなので、引きこもりにはいろんなタイプがいるということは覚えて
    おいてください。

    じゃ、どうすればいいのか。

    1、親元で甘えられるだけ甘えて、傷つきたくない自分を大切にして一生すごす→親がなくなったら親の資産で生活をなんとかするか、生活保護の受給。ファイナンス的に精査が必要。

    2、新たなチャレンジをする
    ①障害者向けの働き口を探す
    精神障害者として、自立支援受給者証や、障害者向け仕事をこなして、生活する。問題点は一般の仕事に比べて時給や単価が安いこと。これらは甘んじて受け入れる。

    ②一般のバイトする
    短時間のバイトから始めて、徐々に体を慣らしてバイトの日数を増やしてそれで生活する。

    ③何か新しいお金を得られる手段にチャレンジする
    問題点は勇気が必要、傷つく覚悟も必要、時間の浪費が許されないこと、親の庇護下から離れる勇気が必要。また、うまくいかない可能性も非常に高い。

    正直言って上記しか思い浮かびません。現状維持バイアスが強い人なら1番一択でしょうし、2-①は社会の構造がそうなっているので、いくら不満を言っても障害者枠からは出られません。その不利益を人生を通じて受け入れるか。2-③は100人いたら1人くらいしかうまくいかないと思います。

    ちなみに、引きこもりで横のつながりをと言ってるのも大事だと思いますが、生き残るか生き残れないかの瀬戸際になると、上記の枠からは逃れられないと思います。日本は資本主義経済なので。

    私も引きこもりが経済的に精神的に自立することを頭を捻って考えましたが、障害者や不適合者の枠で生きていくか、気持ちを入れ替えて、一般社会に立ち向かっていくか、の2択しかないかと思います。残念ではありますが。。引きこもりだから、引きこもりの法律ができたからといって、安住した生活がこれから可能になるかもなどとは、ゆめゆめ考えないほうがいいです。

    これからはひどい自己責任時代がやってきます。世知辛い世の中です。

    これは自分の経験を通して書きたいと思います。

    引きこもっていた3年間、とりあえず人には全く会いたくなかったです。理由は外からの刺激煩わしくなっていたから。そのため雨戸を全部閉めて光が入ってこない部屋で3年間くらしていました。当然、昼夜逆転し、夜になってスーパーに行って見切り品を買ってくるという生活です。
    あとは、アニメをa~zまで延々と見続けて、ゲームをやってという生活を送っていました。
    当然、庭の草はぼうぼうになり、大家さんからも注意されるようになりました。引っ越しを検討したのは、家や畑を管理していくのにうんざりしたから、というのが一番大きかったです。

    引っ越してからは、専業トレーダーになりその収入と、東京にいた時に買っていたマンションからの収入も併せて、その収入で暮らしていました。なんといっても草刈りをしなくていいのは天国でした。

    その後、スイングトレーダーとして、1億円を達成し(後で急速に1億円切ったけど)、引きこもりの会に入会し、その中で役割をもらったりしてきたのですが、1年見てきて、引きこもりにはいろんな人がいるけれど、物事を客観的に見たり、自分から率先してリスクを取りに行ったり、新しいことにチャレンジするというのを極端に怖がる人が多いということに気が付きました。
    自分の好きなことをやり、そのための軍資金は親からお小遣いをもらい、という考えのようです。ご飯も作ってもらい、これじゃ引きこもりやめる気にはならないよな、と内心思いました。そういう当事者を見ていると親も常識がないケースが多い。目の前のことにしか対処できないという感じ。子供に徹底的に甘い。お菓子やカップラーメンが食べたいといえば、何も考えずに与えるような親というイメージ。後は逆に俺様気質な親。

    何か落ち度があって自分が注意されるのはいやだけど、一人前に批評したり、意見を通そうとする、そんな人が多いのにも驚きました。私が社会に出ていた時とは全く違う人種という感じがしたのを思い出します。自分の経験から言ったら、いつまでも親元にいて生活の面倒を見てもらうというのは恥ずかしいという感覚だったからです。

    ついこの前も「ガスの元栓が開いていたので気をつけてください」と日誌に書いただけで、「自分が無能といわれてる気がする」と小言をいってくる当事者がいました。正直、どこまでこいつは甘ったれてるんだ、と思いましたよ。ガスの元栓を開けておいたままですみませんでした、が先だろう。そういう基本的な感覚が見についていない。おまけに人と話すときは、競馬のゲームを横目に人の話をつまならそうに聞く態度。

    社会不適合者、といえばいいのかな、引きこもりの中には、パニック障害だったり、うつ病だったり、適応障害だったり、双極性うつだったり、いろんな人がいますが、親に過剰に守られている、いわば無菌室の中で育てられてきたわがまま子供が多い気がします。

    そういう無菌室の中で育ってきた子供は周囲への気配りや、礼儀作法が下手です。電話にもまともに出られなかったりする(相手とのやりとりは怖いから)、人間自分の意見を通すからには、それだけの評価を得てないと通りません。そういうことを新入社員時代に嫌というほど学ぶはずなんだけれど、そういう機会がないまま、引きこもっていても考えはマイナス方向にいくばかりでしょう。
    自分を大事に扱え、だったり、親に文句を言う前に、自分が動きましょう。

    そのためには、まず病院に通って昼夜逆転を直し、マインドフルネスでもなんでもいいから、きちんと自分を客観的に見つめる訓練が必要だと思います。

    引きこもりのみなさん、みなさんはみなさんが思っているほど評価はされていないです。
    その現実を受け止めてください。

    私は引きこもりの人(これは自分も含めて)が、自己発見のために内側に向き合うことはさして意味のないことだと考えています。客観的にみれば「一種の逃げ」と言われても仕方ないかもしれません。それにはちゃんとした理由があるからです。

    まず、人には努力が最大に報われる時があります。
    例えば、受験、極めつけは大学受験でしょう。このときの努力で得られる学歴は、今現代においてもやはり力を持ちます。また、高学歴の人たちは、これまた高学歴の人たちと回転の早い会話や考えをやりとりし合うことで、切磋琢磨されます。

    そしてこれが重要なんですが、高学歴の人たちは、そのまた10~40年前の「高学歴の先輩」達から認められるケースが非常に多いということです。知的環境で育ってきたことによる親近感があるということでしょうか。今でも、学歴で入社する社員を選ぶ、もしくは、最初から高学歴の学生とそうでない学生を分ける入社方式を採っている会社があるのは、こういう理由ではないかと思います。もちろん、高学歴の学生のほうが、努力の仕方を知っているということになるのでしょうが。

    上記のことを考えると、10代から引きこもって自分探しをしてきた人たちは、高学歴出身の学生が持っている高学歴新卒カードというのを持つことができません。もちろん、地元の安月給の企業には勤めることができるかもしれませんが、年収1,000万以上といった世界とは無縁でしょう。

    そもそも、一般的なルートと目されている道から外れるということはそれだけで、失敗の烙印を押されてしまうのが、通常の世の中の見方なのだということを理解すべきです。
    だからこそ、学校にいっている間は目一杯努力して優秀な成績を収めなければなりません。

    なぜなら、それが自分の将来を切り開く最も有効かつ強力なカードとなるからです。

    こうした世の中の道理を無視して、「今は学歴なんて関係ない」「学歴なんかより実力だ」などと宣う人がいますが、本来実力のある人は、受験というゲームなんて、その攻略方法を理解して上位の成績に収まるものなんです。受験ですらまともに戦えないのに、ゲームチェンジャーを目指すのは、愚の骨頂です。やることもやれない人間が人の上に立てるわけはないでしょう。

    親はもっと世の中の厳しさや、自立の大変さを子供のころから叩き込まないとだめだと思います。例えばアメリカの親が子供に早い段階から自立を促すように。。
    当然、性格的に先天的に、受験というゲームに非常に大きい困難を抱える人達もいるでしょう。マクロ視点でみたときに必ずそういった一群は発生するので、そうだとわかった時点で、年収1,000万といった夢はあきらめ、ファイナンス的に自分の一生を安泰に送れるようにする、また、食いっぱぐれないようにするなど、方略を考えなければなりません。

    この資本主義のゲームは全ての人に平等ではありません。そこを踏まえた上で、引きこもる人は自分探しをしたらいいし、後悔しない人生を歩めばいいと思います。決して、引きこもりの人生と、レールを高速で走ってきた社会人の人生を、等価値で考えるなどといった、見え透いた安易な人生論にはまるべきではありません。

    だから、引きこもりの人が全て外に出られるようになるというのは
    幻想だと思っていい。
    文豪が活躍した時代の書生などというのも、一種の引きこもりの
    変化型みたいなものだろうし、恥の文化によって外に出ようとしなかった
    人もまた多かったはずなのだ。
    みんながみんな、リア充になるべく闊歩しているなどと考えるのは一種の
    妄想であって、現実の世界はもっと複雑で、センシティブだと思う。

    女性の側でいったら、皆専業主婦時代であれば、それ中に隠れる形で
    引きこもりの人もたくさんいただろうし、男性だったら、長男が一種の権力者
    になる形で、経済的に支援を受ける次男、三男以降もいたのではなかったか、
    と推測する。

    それらの人たちの総数をもし数えることができたなら、相当数に上ったはずであり、
    今とは違った時代であっても、形を変えた引きこもりは存在したと私は考えている。

    他の記事では、親の責任、子供の先天的な性格、などにスポットを当てたが、それは
    ミクロな視点での分析であり、一転してマクロな視点で「本当に引きこもりって今の
    時代だけの特徴的な存在なのか」と考えると、そう断言できる要素は思いの外少ない。

    むしろ、引きこもりと当時は呼ばれなくても、当時の生活スタイルの中に隠れる形で
    今の引きこもりと呼ばれる生活スタイルが存在していたのではないか、と考えるほうが
    より自然に見える(私には)のであり、逆に言葉がなかったから「引きこもり」はいなかった
    などと宣うのは、短慮で分別に欠ける考えだと思う。

    引きこもりについて考えていくと、親の資産を使ってでも、障害年金+アルファでも、新規事業を起こす(ハードルは高いが)、所得を得る、不労所得を管理する仕事を得る、ということに辿り着かないと、自分の生きていく居場所が見つからないのではと思えてならない。

    やはり、どんなに虚勢を張っても、生きていくためにはお金が必要だし、何もせずに親からこづかいをもらうというのは一見楽そうに見えて、その実、そこには後ろめたさという気持ちがいつもつきまとうからだ。そしてそれは人間の尊厳を失わせてしまう。そこが最も怖い。

    自信がなくなれば、人目を気にするようになり、おどおどするようになるし、自分の中にある自己肯定感も失われていくし、そうして失われた自己肯定感は決して年齢とともに復活するような性質のものではないからだ。

    私はこう思う。
    親である程度の資産があるなら、その資産が不労所得を生むようにキャッシュフローの流れを作り、それを子供に管理させる(仕事を作り出す)。そして子供がそこから仕事の対価としてお金を得られるようにして、仕事の喜びと責任を果たす喜びを経験できるようにする。そうすれば自信も蘇ってくるはずだ。
    障害年金+アルファでも同じこと。障害年金と、作業所の賃金で生活できるキャッシュフローを作り出し、それを以て自信を取り戻す。一人の社会人としての尊厳を取り戻す。

    私はというと、もうすでに自分自身のキャッシュフローは生み出しているので、今度は仕事を作り出し、そこに元ひきこもりの人に仕事をやってもらい、その収益で雇用を生み出すことができないか、その社会実験をやってみたいと思っている。その情報収集の真っ最中だ。

    10月には、高知県の助成を受けたスタートアップ企業のプレゼンがあるため、そこに投資できる芽がないか探しに行こうと思っている。いいスタートアップ企業に出会うことができれば、他者のアイディアに元ひきこもりの就労を組み合わせ、実益を伴う形が生まれてくるはずだ。

    支援者の多くは家族会という形を取っています。要するに自分の子供が引きこもりになり、どうしたらいいか分からない、他の同じ経験をしている人とつながって安心したいって思っている親が大半です。そんな弱い人達が、この現代の引きこもりの感覚や、気持ちについていけると思いますか?どだい無理な話でしょう。

    そもそも、引きこもりなるように仕向けた(教育した)のがその親達ですし、他人にすがる前に、まず自分の子供の前で、取り繕った親の顔を捨てて、本気の親の姿でぶつかってみろっていう話です。
    そうしたら子供も自らの鎧を脱いで、ちゃんと話を聞くこともあるかもしれません。そういった、自分が変わったり、頭を下げたり、本気を見せたり、他者からみたらかっこ悪いと思われるかもしれないことを、親はこうあるべき、という感覚にとらわれてできないから、子供が親を信用しない結果になって信用を失うわけです。引きこもりの親はそこら辺が全然わかっていない。

    支援者の「ああしたらいい、こうしたらいい」というのは話半分に聞いていたらいいと思う。こっちの状況や段階を無視して、押し付けてくるような提案にはかんたんに乗らない方がいい。当事者を支援している風で、押し付けてくる提案や方法論には必ず、支援者側にメリットがあるような仕組みになっていて、当事者が活動することが支援者側のメリットになることが多い。それくらいすぐできるような元気がある当事者ならいいけれど、みんながみんなできるわけでもないので、自分を尊重してくれる支援者をじっくり探すということもまた大事なことなのだ。

    僕らは、支援者のいいカモ、食い物にされないように、昭和の根性論や、まずやってみろ的なイケハヤみたいな無責任論者に体よく動かされてはいけない。

    引きこもり当事者の問題解決を語るときに、「引きこもり」を解消することにばかりスポットが当てられると思いますが、本当の核となる部分はそこではありません。
    引きこもり続けている原因は、「自分に自信がないから」です。だから引きこもり続けざるを得ないわけです。自分で選択的に引きこもって生活している人、例えばデイトレーダーで生計を立てていて家からほとんど出ないっていう人も中にはいますが、そういう人はこもってはいても、自分の核になる部分に自信を持っているので、精神が病んだりはしないわけです。

    引きこもり当事者と一緒に仕事をしたり、話したりする中で見えてくるのは、彼らはプライドはすごく高い。だけど、そのプライドが邪魔していろんな世界に入っていけない、また人に頭を下げることができない、自分の都合を優先して、他人との約束を守れない、守れなくてもなんとも思わないなど、社会性が著しく劣る人たちが多い気がします。そういうところは非常に頑固です。
    僕が経営者なら、真っ先に首にするなぁ、この人という人がいっぱいいます。
    だって頼んでおいた仕事を期限が来ても、催促してもやらない、あげくの果てにできません、ですっぽかすような人間信用できるわけないでしょう。

    真面目すぎるっていう言われ方をする人もいるけれど、その真面目さを他人にも押し付けているところは相当数あるように思います。だから他人を許せないし、社会に馴染めない。

    他人に迷惑をかけてもへっちゃらっていう引きこもりを最近立て続けに見ているのでうんざりしているところなんですが、親はいったいどういう教育をしたら、ああいう子供が育つんだろうといつも不思議に思います。自分の食い扶持も自分で稼げないのに、他人には一端の口をきく、他人に対しては厳しい、自分のことは棚に上げて、自分には徹底的に甘い。
    親の甘やかしによって引きこもりになる土台を子供に植え付けている状況というのが、相当な数に上るのではないかと思います。

    ちなみに私は自分の力で引きこもっていたので、貧乏も我慢して生活していました。親元でのうのうと暮らすありがたみを、親元で引きこもっている引きこもりはもっと認識するべきだと思います。

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