よく引きこもっている人から人生観や、諦観や、自分なんて、という話を聞くのですが、引きこもって何年も考えていたことなどは、自分の部屋で竹槍の使い方を独学していたようなものです。要は何の役にも立ちません。世の中、マシンガンやガトリング砲で戦っているのに次元が違いすぎるのです。
コミュニケーション一つとっても、量と真剣度が全く違いますし、その積み重なりや複雑さも桁違いです。そういう時間を若いときに積んでおくことはとても大事なことです。決して自分の部屋での自分探しに使って益になるものではありません。
引きこもり支援者の中にもこの点を勘違いしている人がたくさんいて、「引きこもっている人はその経験が役に立つ」とか、「ピアサポーターとして引きこもりの経験が・・・」などと言っていますが、結局は専門職にはかなわないですし、きちんと勉強した人にはかないません。世の中、きちんとした道順で努力したものが評価されるというように決まっているんです。
だからこそ、引きこもりの時間は短くしなければいけません。
引きこもりの支援者達には、声を大にして言いたい。「引きこもりを祭り上げるのをやめろ」と。
引きこもりを大事に思う気持ちは分かりますが、事実は事実のまま彼らに突きつけることも支援者としての愛情であり、責任でもあります。それは引きこもりが世の中に出たときに、彼らがどう評価されるか肌で感じるのが本当の評価であり、そこをきちんと伝える、良きにしろ悪しきにしろ、いろんな評価が下されるのが社会なのだ、また引きこもりを少なからず低く見る人がいるのだ、ということを予め伝えておくこともまた必要なのだ、と私は思います。
ちなみに県だったか市の職員はこんなことをしれっと言っていましたよ。
「彼らの1時間と、私達の1時間は、質が違いますから」
ね、これで、ひきこもりが世の中からどう見られているか、よく分かるでしょう。
コミュニケーション一つとっても、量と真剣度が全く違いますし、その積み重なりや複雑さも桁違いです。そういう時間を若いときに積んでおくことはとても大事なことです。決して自分の部屋での自分探しに使って益になるものではありません。
引きこもり支援者の中にもこの点を勘違いしている人がたくさんいて、「引きこもっている人はその経験が役に立つ」とか、「ピアサポーターとして引きこもりの経験が・・・」などと言っていますが、結局は専門職にはかなわないですし、きちんと勉強した人にはかないません。世の中、きちんとした道順で努力したものが評価されるというように決まっているんです。
だからこそ、引きこもりの時間は短くしなければいけません。
引きこもりの支援者達には、声を大にして言いたい。「引きこもりを祭り上げるのをやめろ」と。
引きこもりを大事に思う気持ちは分かりますが、事実は事実のまま彼らに突きつけることも支援者としての愛情であり、責任でもあります。それは引きこもりが世の中に出たときに、彼らがどう評価されるか肌で感じるのが本当の評価であり、そこをきちんと伝える、良きにしろ悪しきにしろ、いろんな評価が下されるのが社会なのだ、また引きこもりを少なからず低く見る人がいるのだ、ということを予め伝えておくこともまた必要なのだ、と私は思います。
ちなみに県だったか市の職員はこんなことをしれっと言っていましたよ。
「彼らの1時間と、私達の1時間は、質が違いますから」
ね、これで、ひきこもりが世の中からどう見られているか、よく分かるでしょう。