とあるひきこもりを研究している先生から「ひきこもりはままならない」という話を聞き、なるほどと思いました。傍から見ていると、「こうしたらいい」「ああしたらいい」と見えていても、本人はその一歩が踏み出せない、ということです。
でも、思うんですが、これがもっと小さい子どもの頃だったらどうでしょう。例えば「自転車に乗る」ということだったら?乗れるかもしれない、乗れないかもしれない、じゃ乗らないでおこうか、うじうじ考えている、そこへ親がやってきて、「やってみようよ」と声をかける、しぶしぶやってみて、乗れるようになって笑顔になる、こんな光景が浮かんできませんか?
要は、子供のときに学ばなくてはいけなかった決断力や、決心の力、思い切りの良さ、自分を動かす力を培ってこなかったことによって、自分を動かすことができなくなっている状態、それがひきこもりのままならなさということもできるわけです。
ままならないからと言って放置しておいて決して良いわけではない、ままならない、動きたくない、をひきこもりだからと言い訳にしないで、自身の力で自身の未来を切り開いていく、それができないなら、本当に元気がないのだから病院に通うなど、他者の客観的な力を利用する、そんな知恵を身に着けなければいつまでも、ひきこもりを言い訳にして、生活保護に突入する未来が待っています。
でも、思うんですが、これがもっと小さい子どもの頃だったらどうでしょう。例えば「自転車に乗る」ということだったら?乗れるかもしれない、乗れないかもしれない、じゃ乗らないでおこうか、うじうじ考えている、そこへ親がやってきて、「やってみようよ」と声をかける、しぶしぶやってみて、乗れるようになって笑顔になる、こんな光景が浮かんできませんか?
要は、子供のときに学ばなくてはいけなかった決断力や、決心の力、思い切りの良さ、自分を動かす力を培ってこなかったことによって、自分を動かすことができなくなっている状態、それがひきこもりのままならなさということもできるわけです。
ままならないからと言って放置しておいて決して良いわけではない、ままならない、動きたくない、をひきこもりだからと言い訳にしないで、自身の力で自身の未来を切り開いていく、それができないなら、本当に元気がないのだから病院に通うなど、他者の客観的な力を利用する、そんな知恵を身に着けなければいつまでも、ひきこもりを言い訳にして、生活保護に突入する未来が待っています。
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