私は引きこもりの人(これは自分も含めて)が、自己発見のために内側に向き合うことはさして意味のないことだと考えています。客観的にみれば「一種の逃げ」と言われても仕方ないかもしれません。それにはちゃんとした理由があるからです。

まず、人には努力が最大に報われる時があります。
例えば、受験、極めつけは大学受験でしょう。このときの努力で得られる学歴は、今現代においてもやはり力を持ちます。また、高学歴の人たちは、これまた高学歴の人たちと回転の早い会話や考えをやりとりし合うことで、切磋琢磨されます。

そしてこれが重要なんですが、高学歴の人たちは、そのまた10~40年前の「高学歴の先輩」達から認められるケースが非常に多いということです。知的環境で育ってきたことによる親近感があるということでしょうか。今でも、学歴で入社する社員を選ぶ、もしくは、最初から高学歴の学生とそうでない学生を分ける入社方式を採っている会社があるのは、こういう理由ではないかと思います。もちろん、高学歴の学生のほうが、努力の仕方を知っているということになるのでしょうが。

上記のことを考えると、10代から引きこもって自分探しをしてきた人たちは、高学歴出身の学生が持っている高学歴新卒カードというのを持つことができません。もちろん、地元の安月給の企業には勤めることができるかもしれませんが、年収1,000万以上といった世界とは無縁でしょう。

そもそも、一般的なルートと目されている道から外れるということはそれだけで、失敗の烙印を押されてしまうのが、通常の世の中の見方なのだということを理解すべきです。
だからこそ、学校にいっている間は目一杯努力して優秀な成績を収めなければなりません。

なぜなら、それが自分の将来を切り開く最も有効かつ強力なカードとなるからです。

こうした世の中の道理を無視して、「今は学歴なんて関係ない」「学歴なんかより実力だ」などと宣う人がいますが、本来実力のある人は、受験というゲームなんて、その攻略方法を理解して上位の成績に収まるものなんです。受験ですらまともに戦えないのに、ゲームチェンジャーを目指すのは、愚の骨頂です。やることもやれない人間が人の上に立てるわけはないでしょう。

親はもっと世の中の厳しさや、自立の大変さを子供のころから叩き込まないとだめだと思います。例えばアメリカの親が子供に早い段階から自立を促すように。。
当然、性格的に先天的に、受験というゲームに非常に大きい困難を抱える人達もいるでしょう。マクロ視点でみたときに必ずそういった一群は発生するので、そうだとわかった時点で、年収1,000万といった夢はあきらめ、ファイナンス的に自分の一生を安泰に送れるようにする、また、食いっぱぐれないようにするなど、方略を考えなければなりません。

この資本主義のゲームは全ての人に平等ではありません。そこを踏まえた上で、引きこもる人は自分探しをしたらいいし、後悔しない人生を歩めばいいと思います。決して、引きこもりの人生と、レールを高速で走ってきた社会人の人生を、等価値で考えるなどといった、見え透いた安易な人生論にはまるべきではありません。