まったく真逆のことを書くのはそれだけ考え抜いている過程だと思ってもらえるとありがたいです。

引きこもっている人は堂々と引きこもりましょう。
ただ、親と今後の今の生活スタイルを続けていく算段を計算して相談しましょう。
出来ないなら、途中でバイトする必要があるかもしれません。
バイトするためには昼夜逆転を治す必要があるかもしれません。
そのためには、病院に行って睡眠導入剤をもらってくる必要があるかもしれません。

というように、一つ一つ、これをするためにはこれをしようというように、
問題を切り分けて考え、それを1週間に1個でいいから進めて行くようにしましょう。

そしてできた結果は親にほめてもらうようにしましょう。前進したのだからほめてもらって
当然なのです。

こういう考えが自分の中で出てきたのも、日本は、会社に尽くす「いいこちゃん」を製造する
機関であって、タフに世の中を行きていく訓練を施す教育を真っ向から否定してきたからではないか
と考えたからです。くだらない校則や、先生たちに服従を求められたり、先輩後輩のくだらない
上下関係、そういったものが全て、世の中にでてからの「いいこちゃん」製造パターンになって
いるのではないでしょうか。

そう考えると、今まで無意識のうちにいいこちゃんを押し付けられてきた我々引きこもりは
ここらで楯突いてもいいと思う。

それにそうした教育の中で無理くり押し込められてきたのだから、引きこもりになる人間が
一定数出てこなければかえっておかしいくらいです。
生まれるべくしてでてきたのが自分たちなら、それを前面に打ち出して、世の中をギャフンと
言わせるのも、一つの世の中を渡っていく方略のような気がします。

ただ、勘違いしてほしくないのは、なんでもかんでもふんぞり返って、親にやってもらったり、
世の中のせいに全てをする、ということではないです。
もっと知的に、スマートに引きこもるということ。
知識と方略を使って、自分に都合のいいことをどんどん取り入れ、生活を確固たるものにし、
そうでないものはどんどん切り捨てていく、そんなタフでスマートな生き方が、かっこいいのでは
と考えています。

引きこもっているんだけれども、生き残ることに対してタフであること、これが自分の中の
引きこもりの一つの目指すべき方向になっているのかもしれません。