2021年08月

    引きこもっている人達は、現状維持バイアスが強い人達ということができるかもしれません。
    なにかにチャレンジすればいいということは「わかっている」けれどもそれを行動に移すこと
    ができないからです。

    現状維持バイアスの外し方は、数字やコストといった目に見える形で損失を提示することです。
    人間だれしも損失は嫌ですから、それが具体性を帯びればいやでも動かざるを得なくなります。
    それでも、動かない人は、恐らく病的に理解力がないということなので本人の資質と親の教育が
    悪かったとして諦めるしかないです。もしくは病気の可能性があるなら病院行きましょう。

    ただ、私が見てきた引きこもりには割と地頭がよい人が多い気がします。
    ただ、頭がいいだけに、自分の気持ちで枠を作り、その枠自体が社会からずれてしまっているので、
    もう時すでに遅し、で諦めてしまっている人たちが多い印象です。

    そういう人たちにはなんとかチャンスを作りたいと、最近は日夜頭を悩ませています。
    実力もあって、真面目で、引きこもりより楽しい生活を享受できるチャンスがあるのに、
    もったいないと思うからです。

    ただ、、
    いろんな意見を言うけれど、いざとなったら「いや、やっぱり止めます」という人はそもそも
    救うことができないので、関われません。

    引きこもっている人に真剣に考えてもらいたいのは、自分の生活を改善するということは
    「椅子取りゲーム」だよということです。そういうチャンスはだれにでも公平にやってくる
    ものではありません。ある日突然目の前に現れるかもしれない。そしてそういうときは迷いなく
    その椅子に座る行動力が必要です。

    社会全体からみた引きこもり脱出の取捨選択はそういうところで行われるのかなと、思ってみたり
    します。チャンスをものにできない、現状維持バイアスに凝り固まった人たちは親が何をいっても
    聞かないし、待っていても行動を起こすことは決してないでしょうから。

    引きこもりの悪口ばかりいってんじゃねぇ、という人たちもいると思うんですが、
    私も元ひきこもりなので、引きこもりにはいろんなタイプがいるということは覚えて
    おいてください。

    じゃ、どうすればいいのか。

    1、親元で甘えられるだけ甘えて、傷つきたくない自分を大切にして一生すごす→親がなくなったら親の資産で生活をなんとかするか、生活保護の受給。ファイナンス的に精査が必要。

    2、新たなチャレンジをする
    ①障害者向けの働き口を探す
    精神障害者として、自立支援受給者証や、障害者向け仕事をこなして、生活する。問題点は一般の仕事に比べて時給や単価が安いこと。これらは甘んじて受け入れる。

    ②一般のバイトする
    短時間のバイトから始めて、徐々に体を慣らしてバイトの日数を増やしてそれで生活する。

    ③何か新しいお金を得られる手段にチャレンジする
    問題点は勇気が必要、傷つく覚悟も必要、時間の浪費が許されないこと、親の庇護下から離れる勇気が必要。また、うまくいかない可能性も非常に高い。

    正直言って上記しか思い浮かびません。現状維持バイアスが強い人なら1番一択でしょうし、2-①は社会の構造がそうなっているので、いくら不満を言っても障害者枠からは出られません。その不利益を人生を通じて受け入れるか。2-③は100人いたら1人くらいしかうまくいかないと思います。

    ちなみに、引きこもりで横のつながりをと言ってるのも大事だと思いますが、生き残るか生き残れないかの瀬戸際になると、上記の枠からは逃れられないと思います。日本は資本主義経済なので。

    私も引きこもりが経済的に精神的に自立することを頭を捻って考えましたが、障害者や不適合者の枠で生きていくか、気持ちを入れ替えて、一般社会に立ち向かっていくか、の2択しかないかと思います。残念ではありますが。。引きこもりだから、引きこもりの法律ができたからといって、安住した生活がこれから可能になるかもなどとは、ゆめゆめ考えないほうがいいです。

    これからはひどい自己責任時代がやってきます。世知辛い世の中です。

    これは自分の経験を通して書きたいと思います。

    引きこもっていた3年間、とりあえず人には全く会いたくなかったです。理由は外からの刺激煩わしくなっていたから。そのため雨戸を全部閉めて光が入ってこない部屋で3年間くらしていました。当然、昼夜逆転し、夜になってスーパーに行って見切り品を買ってくるという生活です。
    あとは、アニメをa~zまで延々と見続けて、ゲームをやってという生活を送っていました。
    当然、庭の草はぼうぼうになり、大家さんからも注意されるようになりました。引っ越しを検討したのは、家や畑を管理していくのにうんざりしたから、というのが一番大きかったです。

    引っ越してからは、専業トレーダーになりその収入と、東京にいた時に買っていたマンションからの収入も併せて、その収入で暮らしていました。なんといっても草刈りをしなくていいのは天国でした。

    その後、スイングトレーダーとして、1億円を達成し(後で急速に1億円切ったけど)、引きこもりの会に入会し、その中で役割をもらったりしてきたのですが、1年見てきて、引きこもりにはいろんな人がいるけれど、物事を客観的に見たり、自分から率先してリスクを取りに行ったり、新しいことにチャレンジするというのを極端に怖がる人が多いということに気が付きました。
    自分の好きなことをやり、そのための軍資金は親からお小遣いをもらい、という考えのようです。ご飯も作ってもらい、これじゃ引きこもりやめる気にはならないよな、と内心思いました。そういう当事者を見ていると親も常識がないケースが多い。目の前のことにしか対処できないという感じ。子供に徹底的に甘い。お菓子やカップラーメンが食べたいといえば、何も考えずに与えるような親というイメージ。後は逆に俺様気質な親。

    何か落ち度があって自分が注意されるのはいやだけど、一人前に批評したり、意見を通そうとする、そんな人が多いのにも驚きました。私が社会に出ていた時とは全く違う人種という感じがしたのを思い出します。自分の経験から言ったら、いつまでも親元にいて生活の面倒を見てもらうというのは恥ずかしいという感覚だったからです。

    ついこの前も「ガスの元栓が開いていたので気をつけてください」と日誌に書いただけで、「自分が無能といわれてる気がする」と小言をいってくる当事者がいました。正直、どこまでこいつは甘ったれてるんだ、と思いましたよ。ガスの元栓を開けておいたままですみませんでした、が先だろう。そういう基本的な感覚が見についていない。おまけに人と話すときは、競馬のゲームを横目に人の話をつまならそうに聞く態度。

    社会不適合者、といえばいいのかな、引きこもりの中には、パニック障害だったり、うつ病だったり、適応障害だったり、双極性うつだったり、いろんな人がいますが、親に過剰に守られている、いわば無菌室の中で育てられてきたわがまま子供が多い気がします。

    そういう無菌室の中で育ってきた子供は周囲への気配りや、礼儀作法が下手です。電話にもまともに出られなかったりする(相手とのやりとりは怖いから)、人間自分の意見を通すからには、それだけの評価を得てないと通りません。そういうことを新入社員時代に嫌というほど学ぶはずなんだけれど、そういう機会がないまま、引きこもっていても考えはマイナス方向にいくばかりでしょう。
    自分を大事に扱え、だったり、親に文句を言う前に、自分が動きましょう。

    そのためには、まず病院に通って昼夜逆転を直し、マインドフルネスでもなんでもいいから、きちんと自分を客観的に見つめる訓練が必要だと思います。

    引きこもりのみなさん、みなさんはみなさんが思っているほど評価はされていないです。
    その現実を受け止めてください。

    私は引きこもりの人(これは自分も含めて)が、自己発見のために内側に向き合うことはさして意味のないことだと考えています。客観的にみれば「一種の逃げ」と言われても仕方ないかもしれません。それにはちゃんとした理由があるからです。

    まず、人には努力が最大に報われる時があります。
    例えば、受験、極めつけは大学受験でしょう。このときの努力で得られる学歴は、今現代においてもやはり力を持ちます。また、高学歴の人たちは、これまた高学歴の人たちと回転の早い会話や考えをやりとりし合うことで、切磋琢磨されます。

    そしてこれが重要なんですが、高学歴の人たちは、そのまた10~40年前の「高学歴の先輩」達から認められるケースが非常に多いということです。知的環境で育ってきたことによる親近感があるということでしょうか。今でも、学歴で入社する社員を選ぶ、もしくは、最初から高学歴の学生とそうでない学生を分ける入社方式を採っている会社があるのは、こういう理由ではないかと思います。もちろん、高学歴の学生のほうが、努力の仕方を知っているということになるのでしょうが。

    上記のことを考えると、10代から引きこもって自分探しをしてきた人たちは、高学歴出身の学生が持っている高学歴新卒カードというのを持つことができません。もちろん、地元の安月給の企業には勤めることができるかもしれませんが、年収1,000万以上といった世界とは無縁でしょう。

    そもそも、一般的なルートと目されている道から外れるということはそれだけで、失敗の烙印を押されてしまうのが、通常の世の中の見方なのだということを理解すべきです。
    だからこそ、学校にいっている間は目一杯努力して優秀な成績を収めなければなりません。

    なぜなら、それが自分の将来を切り開く最も有効かつ強力なカードとなるからです。

    こうした世の中の道理を無視して、「今は学歴なんて関係ない」「学歴なんかより実力だ」などと宣う人がいますが、本来実力のある人は、受験というゲームなんて、その攻略方法を理解して上位の成績に収まるものなんです。受験ですらまともに戦えないのに、ゲームチェンジャーを目指すのは、愚の骨頂です。やることもやれない人間が人の上に立てるわけはないでしょう。

    親はもっと世の中の厳しさや、自立の大変さを子供のころから叩き込まないとだめだと思います。例えばアメリカの親が子供に早い段階から自立を促すように。。
    当然、性格的に先天的に、受験というゲームに非常に大きい困難を抱える人達もいるでしょう。マクロ視点でみたときに必ずそういった一群は発生するので、そうだとわかった時点で、年収1,000万といった夢はあきらめ、ファイナンス的に自分の一生を安泰に送れるようにする、また、食いっぱぐれないようにするなど、方略を考えなければなりません。

    この資本主義のゲームは全ての人に平等ではありません。そこを踏まえた上で、引きこもる人は自分探しをしたらいいし、後悔しない人生を歩めばいいと思います。決して、引きこもりの人生と、レールを高速で走ってきた社会人の人生を、等価値で考えるなどといった、見え透いた安易な人生論にはまるべきではありません。

    だから、引きこもりの人が全て外に出られるようになるというのは
    幻想だと思っていい。
    文豪が活躍した時代の書生などというのも、一種の引きこもりの
    変化型みたいなものだろうし、恥の文化によって外に出ようとしなかった
    人もまた多かったはずなのだ。
    みんながみんな、リア充になるべく闊歩しているなどと考えるのは一種の
    妄想であって、現実の世界はもっと複雑で、センシティブだと思う。

    女性の側でいったら、皆専業主婦時代であれば、それ中に隠れる形で
    引きこもりの人もたくさんいただろうし、男性だったら、長男が一種の権力者
    になる形で、経済的に支援を受ける次男、三男以降もいたのではなかったか、
    と推測する。

    それらの人たちの総数をもし数えることができたなら、相当数に上ったはずであり、
    今とは違った時代であっても、形を変えた引きこもりは存在したと私は考えている。

    他の記事では、親の責任、子供の先天的な性格、などにスポットを当てたが、それは
    ミクロな視点での分析であり、一転してマクロな視点で「本当に引きこもりって今の
    時代だけの特徴的な存在なのか」と考えると、そう断言できる要素は思いの外少ない。

    むしろ、引きこもりと当時は呼ばれなくても、当時の生活スタイルの中に隠れる形で
    今の引きこもりと呼ばれる生活スタイルが存在していたのではないか、と考えるほうが
    より自然に見える(私には)のであり、逆に言葉がなかったから「引きこもり」はいなかった
    などと宣うのは、短慮で分別に欠ける考えだと思う。

    引きこもりについて考えていくと、親の資産を使ってでも、障害年金+アルファでも、新規事業を起こす(ハードルは高いが)、所得を得る、不労所得を管理する仕事を得る、ということに辿り着かないと、自分の生きていく居場所が見つからないのではと思えてならない。

    やはり、どんなに虚勢を張っても、生きていくためにはお金が必要だし、何もせずに親からこづかいをもらうというのは一見楽そうに見えて、その実、そこには後ろめたさという気持ちがいつもつきまとうからだ。そしてそれは人間の尊厳を失わせてしまう。そこが最も怖い。

    自信がなくなれば、人目を気にするようになり、おどおどするようになるし、自分の中にある自己肯定感も失われていくし、そうして失われた自己肯定感は決して年齢とともに復活するような性質のものではないからだ。

    私はこう思う。
    親である程度の資産があるなら、その資産が不労所得を生むようにキャッシュフローの流れを作り、それを子供に管理させる(仕事を作り出す)。そして子供がそこから仕事の対価としてお金を得られるようにして、仕事の喜びと責任を果たす喜びを経験できるようにする。そうすれば自信も蘇ってくるはずだ。
    障害年金+アルファでも同じこと。障害年金と、作業所の賃金で生活できるキャッシュフローを作り出し、それを以て自信を取り戻す。一人の社会人としての尊厳を取り戻す。

    私はというと、もうすでに自分自身のキャッシュフローは生み出しているので、今度は仕事を作り出し、そこに元ひきこもりの人に仕事をやってもらい、その収益で雇用を生み出すことができないか、その社会実験をやってみたいと思っている。その情報収集の真っ最中だ。

    10月には、高知県の助成を受けたスタートアップ企業のプレゼンがあるため、そこに投資できる芽がないか探しに行こうと思っている。いいスタートアップ企業に出会うことができれば、他者のアイディアに元ひきこもりの就労を組み合わせ、実益を伴う形が生まれてくるはずだ。

    支援者の多くは家族会という形を取っています。要するに自分の子供が引きこもりになり、どうしたらいいか分からない、他の同じ経験をしている人とつながって安心したいって思っている親が大半です。そんな弱い人達が、この現代の引きこもりの感覚や、気持ちについていけると思いますか?どだい無理な話でしょう。

    そもそも、引きこもりなるように仕向けた(教育した)のがその親達ですし、他人にすがる前に、まず自分の子供の前で、取り繕った親の顔を捨てて、本気の親の姿でぶつかってみろっていう話です。
    そうしたら子供も自らの鎧を脱いで、ちゃんと話を聞くこともあるかもしれません。そういった、自分が変わったり、頭を下げたり、本気を見せたり、他者からみたらかっこ悪いと思われるかもしれないことを、親はこうあるべき、という感覚にとらわれてできないから、子供が親を信用しない結果になって信用を失うわけです。引きこもりの親はそこら辺が全然わかっていない。

    支援者の「ああしたらいい、こうしたらいい」というのは話半分に聞いていたらいいと思う。こっちの状況や段階を無視して、押し付けてくるような提案にはかんたんに乗らない方がいい。当事者を支援している風で、押し付けてくる提案や方法論には必ず、支援者側にメリットがあるような仕組みになっていて、当事者が活動することが支援者側のメリットになることが多い。それくらいすぐできるような元気がある当事者ならいいけれど、みんながみんなできるわけでもないので、自分を尊重してくれる支援者をじっくり探すということもまた大事なことなのだ。

    僕らは、支援者のいいカモ、食い物にされないように、昭和の根性論や、まずやってみろ的なイケハヤみたいな無責任論者に体よく動かされてはいけない。

    引きこもり当事者の問題解決を語るときに、「引きこもり」を解消することにばかりスポットが当てられると思いますが、本当の核となる部分はそこではありません。
    引きこもり続けている原因は、「自分に自信がないから」です。だから引きこもり続けざるを得ないわけです。自分で選択的に引きこもって生活している人、例えばデイトレーダーで生計を立てていて家からほとんど出ないっていう人も中にはいますが、そういう人はこもってはいても、自分の核になる部分に自信を持っているので、精神が病んだりはしないわけです。

    引きこもり当事者と一緒に仕事をしたり、話したりする中で見えてくるのは、彼らはプライドはすごく高い。だけど、そのプライドが邪魔していろんな世界に入っていけない、また人に頭を下げることができない、自分の都合を優先して、他人との約束を守れない、守れなくてもなんとも思わないなど、社会性が著しく劣る人たちが多い気がします。そういうところは非常に頑固です。
    僕が経営者なら、真っ先に首にするなぁ、この人という人がいっぱいいます。
    だって頼んでおいた仕事を期限が来ても、催促してもやらない、あげくの果てにできません、ですっぽかすような人間信用できるわけないでしょう。

    真面目すぎるっていう言われ方をする人もいるけれど、その真面目さを他人にも押し付けているところは相当数あるように思います。だから他人を許せないし、社会に馴染めない。

    他人に迷惑をかけてもへっちゃらっていう引きこもりを最近立て続けに見ているのでうんざりしているところなんですが、親はいったいどういう教育をしたら、ああいう子供が育つんだろうといつも不思議に思います。自分の食い扶持も自分で稼げないのに、他人には一端の口をきく、他人に対しては厳しい、自分のことは棚に上げて、自分には徹底的に甘い。
    親の甘やかしによって引きこもりになる土台を子供に植え付けている状況というのが、相当な数に上るのではないかと思います。

    ちなみに私は自分の力で引きこもっていたので、貧乏も我慢して生活していました。親元でのうのうと暮らすありがたみを、親元で引きこもっている引きこもりはもっと認識するべきだと思います。

    よく引きこもっている人から人生観や、諦観や、自分なんて、という話を聞くのですが、引きこもって何年も考えていたことなどは、自分の部屋で竹槍の使い方を独学していたようなものです。要は何の役にも立ちません。世の中、マシンガンやガトリング砲で戦っているのに次元が違いすぎるのです。
    コミュニケーション一つとっても、量と真剣度が全く違いますし、その積み重なりや複雑さも桁違いです。そういう時間を若いときに積んでおくことはとても大事なことです。決して自分の部屋での自分探しに使って益になるものではありません。

    引きこもり支援者の中にもこの点を勘違いしている人がたくさんいて、「引きこもっている人はその経験が役に立つ」とか、「ピアサポーターとして引きこもりの経験が・・・」などと言っていますが、結局は専門職にはかなわないですし、きちんと勉強した人にはかないません。世の中、きちんとした道順で努力したものが評価されるというように決まっているんです。

    だからこそ、引きこもりの時間は短くしなければいけません。
    引きこもりの支援者達には、声を大にして言いたい。「引きこもりを祭り上げるのをやめろ」と。
    引きこもりを大事に思う気持ちは分かりますが、事実は事実のまま彼らに突きつけることも支援者としての愛情であり、責任でもあります。それは引きこもりが世の中に出たときに、彼らがどう評価されるか肌で感じるのが本当の評価であり、そこをきちんと伝える、良きにしろ悪しきにしろ、いろんな評価が下されるのが社会なのだ、また引きこもりを少なからず低く見る人がいるのだ、ということを予め伝えておくこともまた必要なのだ、と私は思います。

    ちなみに県だったか市の職員はこんなことをしれっと言っていましたよ。
    「彼らの1時間と、私達の1時間は、質が違いますから」
    ね、これで、ひきこもりが世の中からどう見られているか、よく分かるでしょう。

    カルペ・フィデムLLCというひきこもり専門の塾のようなところがあります。
    そこが、こんな質問に回答していました。

    ・ひきこもりの親の責任はどこまでか?
    ・何年以上が長期化か?
    ・子供が引きこもったら、すぐに止めさせたほうがいいですか?
    ・長期化する子供の特徴ってありますか?
    ・家庭的な特徴や、環境などは?
    ・ネットは使わせないほうが良いですか?
    ・子供の引きこもりを止めさせられる親と、長期化する親とでは、どのような差がありますか?
    ・年齢的にはどれくらい以上が問題なのでしょうか?

    この上記の問題を見て、回答がズバッと書いてあったら見てみたいと思いませんか?
    下手な支援団体に行くより、この団体のコラムや回答を見る方が良いかもしれません。
    ただ、論理的にまた客観的に考える訓練が出来ている人でないと、傷つくことが
    大いに予想されるので、オススメはしません。

    ただ、事実に基づいた客観的な回答が欲しい、痛みを伴っても真実を知りたいと思う人に
    とっては、これ以上ないコラムであり、回答集だと思います。

    カルペ・フィデムLLCさんはひきこもりと教育について真面目に考えられている団体です。
    こういう団体があるということだけでも、日本の救いだと私は思います。

    ひきこもりの人生は、ひきこもったという事実を消せるわけではありません。
    例えるなら、事故にあったようなものです。失った時間と機会損失は
    後遺症のようなものかもしれません。
    だからこそ、その後の人生をできるだけ一生懸命、そして楽しく生きていかねばなりません。

    支援者団体を見ていると、一人の男性を中心に、ひきこもりの当事者をもつ母親が何人もとりまきにいて、いわゆる教祖と信者的な様相を呈している場面に出くわすことがあります。そうでなくてもひきこもりは、一般的にいって家庭内の「恥」とされる部分です。

    こうしたひきこもりを中心に結束した組織では、男性(教祖的役割)の言ったことは常に正しく、それに口をはさむことができにくい土壌が醸成されがちです。

    それによって、嫌なこと、不愉快なこと、ストレスが溜まることがあったとしても、それを飲み込んで支援者団体の活動に参加していかなくてはならなくなります。
    みなさんは、どこかの支援者団体に所属していると思いますが、本当に心から支援者団体の活動に携わっていてよかったと感じているでしょうか。

    私は参加していて、不愉快に感じたり、仕事をさせられてるなぁ、利用されてるなぁ、と感じることがあるので、そういう組織や人からは離れていこうと思っています。やっぱりストレスを感じる人と一緒にやっていくのは難しいです。だらしがないというのも難しいかなぁ。

    昔、外資系の企業に勤務していたので、規則や考え方という点では非常に強固なものを見てきました。それに比べると高知の個人商店的な考え方はゆるゆるすぎると思います。

    組織の面でも、きちんとした組織に所属してきた人や、コンプライアンスに則った仕事ができる人、じっくりと人を育てることができる人(ただ煽る人ではなく)、じゃないと、信用に足る人とは言えないような気がします。教祖と信者的な組織が垣間見えたときは、相当気をつけて対応されたほうがよいと思います。

    とあるひきこもりを研究している先生から「ひきこもりはままならない」という話を聞き、なるほどと思いました。傍から見ていると、「こうしたらいい」「ああしたらいい」と見えていても、本人はその一歩が踏み出せない、ということです。
    でも、思うんですが、これがもっと小さい子どもの頃だったらどうでしょう。例えば「自転車に乗る」ということだったら?乗れるかもしれない、乗れないかもしれない、じゃ乗らないでおこうか、うじうじ考えている、そこへ親がやってきて、「やってみようよ」と声をかける、しぶしぶやってみて、乗れるようになって笑顔になる、こんな光景が浮かんできませんか?

    要は、子供のときに学ばなくてはいけなかった決断力や、決心の力、思い切りの良さ、自分を動かす力を培ってこなかったことによって、自分を動かすことができなくなっている状態、それがひきこもりのままならなさということもできるわけです。

    ままならないからと言って放置しておいて決して良いわけではない、ままならない、動きたくない、をひきこもりだからと言い訳にしないで、自身の力で自身の未来を切り開いていく、それができないなら、本当に元気がないのだから病院に通うなど、他者の客観的な力を利用する、そんな知恵を身に着けなければいつまでも、ひきこもりを言い訳にして、生活保護に突入する未来が待っています。

    引きこもっているからこそ健康に気をつけなくてはいけないかもしれません。まず、私の場合ですが、ご飯を極端に食べなくなりました。体重が10キロくらい落ちた記憶があります。あと、買い物に行くのが億劫になり運動不足になります。無気力になります。

    あと昼夜逆転、これはかなりの人がなるのではないかと思います。日中は人と会いたくないため、家の外には出ない、夜になってきてから元気が出てきて動き出すという感じです。私は最後までこの夜型生活は治りませんでした。結局薬で生活サイクルをもとに戻しました。それくらい強力なものでした。

    あと不衛生になりがちというのもあるかもしれません。人と会わないため、ひげをそらなかったり、歯磨きを怠ったり、顔を洗わなかったり、ということも出てきます。
    こうしたことすべて、寿命を縮めます。エビデンスがしっかりあるくらいです。

    上記のできごとを総合すると、はっきりいって浮浪者みたいになるので、人生に夢も希望もなくなり、自分自身も他人からみてもみすぼらしい外見になってしまいます。結果的に本当に健康寿命を短くしてしまいます。元引きこもりの当事者にたくさん会ってきていますが、元気になった後も歯だけは元に戻らなかった人も見かけることがあります。

    高知には保険適用のきく歯のクリーニングができる歯科クリニックもあるので、心配な人は相談してください。


    首都圏のコロナが非常に大変な状況なのでひとまず中止。

    暑い毎日が続いていますが、クーラーもフル稼働ではないでしょうか。
    暑い夏を吹きとばせ、ということで一度納涼バーベキュー会を開こうと計画しております。

    場所:鏡川源流憩いの広場か仁淀川黒瀬キャンプ場
    日時:8月中旬か9月入ってから(9月入ってからのほうが夏休みが終わり人が少なくていいかも)
    参加費用:500円から1,000円(500円だと鶏肉のみになるかも、1,000円だと牛肉が入る)

    バーベキューコンロを使うことを考えましたが、家にあったコンロは錆びてしまっていたので、ブロックを3つ持っていって、大きな網を買って行きたいと思います。それで炭は家にあるのを持っていきます。あと薪は現地調達かな。そう考えると黒瀬キャンプ場のほうがいいかも。一度下見にいくことを考えているので、一緒に行ってくれる人は連絡ください。あと、コロナの人数次第では、見送ることも考えます。あと僕もワクチン打つので体調次第では、延期もあります。
    一人だと準備になかなか手が回らないので、協力してくれる人がもう一人二人いてくれると本当に助かります。お肉を外で食べる機会なんてなかなかないので、この機会にいかがでしょうか。

    首都圏のコロナが非常にに大変な状況なのでひとまず中止。


    浦戸湾クルージングを開催する予定です。

    募集人数:何人でも(操船は私がしますので大丈夫です)。多かったら日にちをずらして何回かに分けます。
    参加費用:検討中(飲み物代他)500円から1,000円とか
    出発日:参加者がいたら随時出発します。
    コース:浦戸湾の仁井田ボートパークを出発して、玉島を巡り、桂浜沖を通り、の1時間くらいのコースになります。
    備考:ひきこもりの人、元ひきこもりの人、ニートの人など。
    持ち物:濡れても大丈夫な服装。滑りにくい靴。ライフジャケットはこちらにもあります。

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