2021年09月

    最近、経済状況について苦しい胸の内を吐露されることが、
    数度有り、私も彼らを支えて上げたいのだけれど、今のところ
    なんともすることができないので、頭を悩ませています。

    突き詰めて考えると「お金のやりくりがうまくいってない」又は、
    「元々貯金が上手ではない」ということなんですが、これは日々の
    生活上の意識から必然的にそうなるものなので、一つのアドバイスで
    どうこうなるものではないです。
    今こうやって書いていてもため息を付きながら考えています。

    まず。
    出ていくお金は最小限に、とにかく最小限にしろ、ということ。
    あと、できるだけ若い時に稼げということ、です。

    ちなみに僕は、今、月収10万円ですが、資産は7,000万強はあります。
    月収を極限まで下げてるのは税金を払いたくないからです。
    ほとんど全て株式投資で少し不動産投資です。
    46歳でこのやりくりでもほとんど不便を感じていません。
    Amazonでは普通に買い物するし、ネットも引いてます。
    本当は、不動産投資に全振りすれば不労所得500万くらいは固いと思います。
    でも税金は余計には払いたくありません。
    それに有望な会社に投資するほうが楽しみなので、ほぼ株式に全振りです。
    恐らく、1億は遠からず突破するでしょう。

    アーリーリタイアという生活になるんだと思いますが、
    僕は、30歳くらいで2,000万円は貯めていました。
    また、貯められるように実家から外資系の企業に努めていました。
    そのために専門の学部で、そのキャリアを潰さないような職歴を積みました。

    すなわち、20代は見せるキャリアを作るために頑張った訳です。

    仮に高知県出身で高知で生涯を送りたい場合、
    高知ラブだけではなく、高知に居続けるためには、
    自分がどんなことにチャレンジしなくてはいけないのかを、高校生のころから
    考えていく必要があります。とても、学生時代から引きこもっている時間は無い訳です。

    この点、「学校に行きたくない」「友達と合わない」「学校がつらい」となってしまうと、
    その時点で、高知(地元)でお金を持って住み続けたいという希望は叶わなくなってきます。

    親元で親の援助ありきか、お金に追われる生活スタイルで生活するということになってしまいます。

    正直、ぼくが達成したライフプランを彼ら彼女らに勧めるのは不可能に近いです。

    手っ取り早くお金を稼ぐということができればいいのですが、そういう方法があれば、
    生き馬の目を抜く、業界の人たちが既に押さえているのが普通です。

    二番煎じも強いのですが、資金力や付加するアイディアが必要になってきます。

    引きこもりの人たちで、「自分たちの生き方をしよう!」と声高らかに叫んでいる人たちは
    こういったファイナンシャル・リテラシーが非常に低いことが多い。
    優柔不断だし、決断が遅すぎる。

    だから、私も助けたくても助けることができない、というのが本音です。
    ぼくくらいの年齢だと東京などでは、1億円超えはザラです。不動産投資を早くからやっていたら
    2億も結構いると思います。

    先んずれば人を制すという言葉がありますが、引きこもるにしても世の中は頭脳戦です。
    ひきこもりUX会議のように「自分たちも声をあげよう!」というのは結構ですが、
    ライフプランを考えてきた人達と対等に話をするのに、舐めてかからないほうがいいと思います。

    とにかく高知県全体で有志の集まりは、お金がないという話ばかり聞きます。
    B型作業所しかり、引きこもり関連のNPOしかり、引きこもりの当事者しかり、です。

    僕は親の教育のフィロソフィー(哲学)が子供の知的好奇心や、学歴の形成に
    大きな影響を与えているのでは、と思っています。
    士業の人たちと話をすることもあるのですが、彼らは教育に対して非常に高い関心を
    持っています。高知だと土佐高校に行くのは当然、といった感じです。
    もちろん、そこにプライドや自尊心も感じるのですが、彼らがレールを上手に敷いて、
    子どもたちは高い学力を武器にして有名大学に進学していく確率が非常に高い。

    そうすると職業を選べる訳です。一流校であれば、高い年収の職業も選ぶことが出来ます。

    しかし、マイルドヤンキーのように高知のような地方に残ってしまう人たちは、
    生涯賃金といった土俵の上では、全くエリートと勝負になりません。
    与えられた教育のフィロソフィーと、生涯獲得賃金が全く違うので、自分のやりたい
    ことを達成することができる可能性が非常に低くなってしまいます。

    逆に、お金はエリートのところに集まっていくという構図だと思います。

    ぼくは、引きこもりの人たちに経済的なゆとりと自尊心を取り戻したいと思って活動
    していますが、現実を見れば見るほど、現実が厳しくて打ちのめされてしまいます。

    集まればいいではなく、自分たちの立ち位置、目標の実現可能性、現実の経済力など、
    総合的に考えて活動している人たちが居たら、ぜひ話を聞いてみたいです。

    だいたいの人たちに「経済の話」が抜けています。これは大学の先生でも同じです。

    今まで、引きこもりについて考えてみたけれど、実際に
    引きこもりから脱却したところで、昼間からゲームをして
    アニメみて、オーテピアで本を借りてきて、ボランティアを
    してといっても、自分の食い扶持をかせいでいないことには
    話になりません。

    現時点での自分は、以前買ったマンションや、貸株金利の収入で
    毎月ほぼ決まった額が入ってくるので生活に困ってはいませんが、

    時間を持て余してしまうという点では、引きこもりを脱却した人、
    定年退職をした人と一緒で、これをやっていて社会とつながっている
    という実感を強く感じるものがありません。

    そこで、何か事業をやってみようと思います。

    現在、スキームを考えているのは輸入の物販会社で、現在、alibabaでの
    価格調査と、日本での販売価格の調査、原価計算、AmazonのFBAを利用した
    場合の費用対効果などを調査しています。これだけでも品目ごとに行わなければ
    ならないのでなかなかの調査量です。

    中国語は昔、中国に留学していたので抵抗感はないのですが、ビジネスメールなどは
    オーテピアに行って、文例集などを借りてきてみました。

    ある一つのことを行おうとすると、いろんな周辺知識は要求されるものですね。

    みなさんも家にいてもできる仕事って意外とたくさんあると思いますので、
    できない理由を探すのではなく、やっている人に近づく気概でチャレンジしてみては
    どうでしょうか。

    数万円からでも事業は始められますよ。

    まったく真逆のことを書くのはそれだけ考え抜いている過程だと思ってもらえるとありがたいです。

    引きこもっている人は堂々と引きこもりましょう。
    ただ、親と今後の今の生活スタイルを続けていく算段を計算して相談しましょう。
    出来ないなら、途中でバイトする必要があるかもしれません。
    バイトするためには昼夜逆転を治す必要があるかもしれません。
    そのためには、病院に行って睡眠導入剤をもらってくる必要があるかもしれません。

    というように、一つ一つ、これをするためにはこれをしようというように、
    問題を切り分けて考え、それを1週間に1個でいいから進めて行くようにしましょう。

    そしてできた結果は親にほめてもらうようにしましょう。前進したのだからほめてもらって
    当然なのです。

    こういう考えが自分の中で出てきたのも、日本は、会社に尽くす「いいこちゃん」を製造する
    機関であって、タフに世の中を行きていく訓練を施す教育を真っ向から否定してきたからではないか
    と考えたからです。くだらない校則や、先生たちに服従を求められたり、先輩後輩のくだらない
    上下関係、そういったものが全て、世の中にでてからの「いいこちゃん」製造パターンになって
    いるのではないでしょうか。

    そう考えると、今まで無意識のうちにいいこちゃんを押し付けられてきた我々引きこもりは
    ここらで楯突いてもいいと思う。

    それにそうした教育の中で無理くり押し込められてきたのだから、引きこもりになる人間が
    一定数出てこなければかえっておかしいくらいです。
    生まれるべくしてでてきたのが自分たちなら、それを前面に打ち出して、世の中をギャフンと
    言わせるのも、一つの世の中を渡っていく方略のような気がします。

    ただ、勘違いしてほしくないのは、なんでもかんでもふんぞり返って、親にやってもらったり、
    世の中のせいに全てをする、ということではないです。
    もっと知的に、スマートに引きこもるということ。
    知識と方略を使って、自分に都合のいいことをどんどん取り入れ、生活を確固たるものにし、
    そうでないものはどんどん切り捨てていく、そんなタフでスマートな生き方が、かっこいいのでは
    と考えています。

    引きこもっているんだけれども、生き残ることに対してタフであること、これが自分の中の
    引きこもりの一つの目指すべき方向になっているのかもしれません。

    つい最近、「ひきこもりUX会議」なる団体を見つけて活動を見てみたのですが、
    耳に心地よい言葉が列記されていて、引きこもりをまるで生クリームでデコレート
    したような表向きにうげってなりそうになりました。
    ひきこもりを美化したって何も出てくるわけないだろう・・・。

    生きづらさって、本人が周りの顔色を伺っているからであって、一人が自分から声を上げて
    人生の表現や体験の表現をすれば、それ自身が輝きを持ってくるだろうに、そんなこと
    も分からずに、一緒に話しましょうって言ったって、傷の舐め合いにしかならないと
    思うんだよなぁ。自己満足というのか。

    引きこもりは当面の生活は親に面倒見てもらっている人が大半なので、直近で困っている
    っていう人にはお目にかかったことがない。それだけに知らない間に年齢を重ねてしまって、
    今もう40代半ば以降という人たちが数多くいる。いわゆる氷河期世代だ。
    本来なら、恋愛し、結婚し、子育ても終わり、子供は大学生になっている、それくらいの
    世代で、立派に親を勤め上げましたというくらいの年齢のはずなのだ。

    それが、悲しいかな、親元でスネをかじりまくって、親の金でご飯を食べ、お風呂に入り、
    ネットを使い、ゲームをする、そして、ひきこもりUX会議のようなところで繋がりを求める
    というえらい贅沢で消極的な生活をしていると本人達も気が付かないで、安易な繋がりに
    安住しようとしている。これではいけないと思う。

    本当に大切なのは、「つながりをつくること」ではない。つながろうとするときに生まれる、
    自分のやる気や意識の改革、生活の改善につながるモチベーションのはずだ。
    いくら引きこもりの同業者とつながって偉そうに語って、傷口を舐めあっても、その後に
    帰る家では、ママがご飯を作ってお風呂を沸かして待っていてくれるのではあまりに情けなさが
    過ぎるのではないか。

    やはり、引きこもりが真に自信を持って自分のことを自分の言葉で語るためには、自分の食い扶持
    を自分で稼ぐことができてこそのような気がする。

    ただ、一概に言えないのが、この年齢では親の介護の問題が発生してくるということだ。親と一緒に
    住むということはイコール親の介護もするということに他ならない。介護は綺麗事では済まされない。
    イライラが募ったりなど日常茶飯事だろうし、暴言をぶつけることだってあるだろう。実家ぐらしでは
    そこから逃れる術がない。親にとっても、子供にとっても実家ぐらしは監獄と化す。

    引きこもるときに、親の力を借りるというのはよくよく考えてほしい。将来その場所が地獄絵図になる
    かもしれない。もちろん、そういう洞察力がある人はそもそも引きこもりに陥らない気がするのだけれど。

    このページのトップヘ